前に書いた業界の慣行・実情・常識 (1)の銀行の役職員による虚偽有価証券報告書提出、違法配当事件です。
検察官は、被告人らが関連ノンバンク等に対する不良債権の実態を隠蔽し、BIS基準(自己資本比率に関する国際統一基準)の維持と配当を行うため、不合理なものであることを認識しつつ銀行独自の資産の自己査定基準を策定することなどにより、粉飾決算と違法配当を行う共謀を遂げたと主張しました。
そして、この共謀は、被告人らあるいは被告人らを含む少人数の役職員による密談や打合わせの場ではなく、幹部会議、経営会議、常務会、取締役会等の公の会議の場で行われたと主張し、共謀を裏付ける物証は、それらの会議の議事録や説明に使われた資料・報告書等であると主張しました。
もともとこの事件においては、貸出金等の償却引当をしなかったことを犯罪として捉えているため、架空売上の計上や債務の隠蔽等の不正操作を行う場合とは異なり、被告人らが秘密裡に不正行為を行うことを決定し、実行するということ自体が不可能か極めて困難なことであって、共謀の場を公の会議の場であると認定せざるを得ないという宿命があったと考えられます。
多くの役職員や事務方の担当者が参加する公の会議の場で犯罪行為の共謀が重ねられたとの認定には、強い違和感を感ぜざるを得ません。平たく言えば、「犯罪の相談を公の場でするのかよ」といった感じです。少なくとも被告人らには、犯罪行為の共謀を行っているという意識はなかったものと思われます。
また、この事件で問題となった銀行の自己査定基準は、国の検査官や公認会計士に開示されることを前提として策定されており、被告人らが、検査官や公認会計士に認められないような違法あるいは全く不合理な基準を敢えて策定しようと考えたという検察官の主張には、やはり違和感を感ぜざるを得ません。
これらの違和感の原因は、検察官が描いた事件の構図いわゆる筋自体にあるように思います。
業界の慣行・実情・常識 (1)で述べたように本件粉飾決算事件の最大の争点は、「公正なる会計慣行」がどのようなものであったかということでしたが、事件を俯瞰してみると、被告人らが各種会議等で行っていたことは、「償却引当に関する大原則の例外として関連ノンバンク等に対する貸出金について、従前の基準による例外的な会計処理が認められるかどうか、認められる場合があるとしてその範囲はどの程度かという、新基準の射程距離の限界を探る試行錯誤の過程にほかならない」と見えるように思います。
こう考えれば、上記の会議や自己査定基準に関する違和感も解消されるように思えるのです。