元検事・弁護士粂原研二による刑事事件の実務
無罪事件から学ぶ刑事弁護 その(3)
ある地方で起きた詐欺事件で、主任検察官は起訴したいと言っていましたが、不起訴処分となった事件です。被疑者は、暴力団の関係者で、土木工事会社の社員に対し、××日におまえのところの工事現場を車を運転して通った際、石が跳ねて車に当たり傷が付いたので、おまえの会社持ちで修理してくれと電話等で何度も要求していました。しかし、高額な修理代を払えとまでは要求していませんでした。
社員が警察に相談し、警察が捜査したところ、傷が付いたという車は、××日には某所に保管されていたことが判明し、工事現場を通ることはあり得ず、被疑者の話しは嘘であることが確認できたため、警察は、詐欺未遂の容疑(結局、土木工事会社は修理に応じていませんでした)で被疑者を逮捕しました。
被疑者は、逮捕当初「そんなことはやっていない」といって否認していましたが、その後黙秘に変わり、真相を語ることはありませんでした。
主任検察官は、暴力団関係者が明白な嘘を言っており悪質なので起訴したいといい、「被告人は、ただで車を修理させようと企て、○○と嘘を言ったが、未遂に終わった。」という趣旨の起訴状を作成して決裁を受けました。決裁に当たり、検察官に証拠関係を確認すると、車の所有者は被疑者とは別の人物(X)で、Xは取調を拒否していて事情聴取ができていないこと、被疑者は黙秘していて本件について何も語らない状況であること等が報告されました。これだけ聞けば、この事件が起訴できない事件であることが分かりますし、そもそも起訴価値のないような事件であると思われました。
本件の車に一番の利害関係を持っているのは、所有者であるXであり、被疑者はXに頼まれたか、Xの気持ちを忖度して土木工事会社に修理を要求したと考えられ、被疑者が「工事現場を通ったときに石が跳ねて車に傷が付いた」というのが嘘であると認識する、つまり詐欺の故意を持つためには、Xらからその内情(それが嘘であること)を聞かされたか、被疑者がXから車を借りるなどして終始車を運転していて石が跳ねて車が傷付いた事実がないことを知っていたことを立証する必要がありますが、被疑者やXの取調べができず、メール等の物証もないのでは、被疑者の故意を立証することは極めて困難です。このような事件の場合は、起訴状に「被告人は、Xと共謀の上、」と書かれていなければ、それだけで証拠が薄い事件であると察しがつくものです。
また、被疑者を単独犯で起訴した後、Xが証人として出廷し、「××日の数日前に工事現場を通ったとき石が跳ねて車に傷が付いたことが実際にあった」とか「そういう事実は確かになかったが、被疑者には、そういう事実があったから修理をしてもらってくれと頼んだので、被疑者は実際のところを知らなかったと思う」などと証言すれば、少なくとも被疑者は無罪になってしまうと思われます。被疑者やXの弁解は、ほかにいくらでも考えられるでしょう。
そもそも「ただで修理をさせようと企て」などという起訴状は見たことがなく(犯人もリスクを負うわけですから、普通は石跳ねの事実がないのに高額のお金を修理代と称して騙し取ったり、脅し取ったりするものです)、一見しておかしな起訴状でしたし、電話代をかけて一生懸命交渉して、結局修理もしてもらえず、まともな証拠もないのに20日間も勾留された者を、暴力団関係者だからといって起訴しようという発想も理解できませんでした。
前に書いた「110番通報の記録」の傷害事件の場合もそうでしたが、車に損傷を負わされて一番怒るのは車の所有者でしょうから、所有者の役割を軽視したり、無視したりする捜査・処理はそれだけで問題を抱え込んでいるものと思われます。
司法試験や修習の制度が変わってから検察官になった人たちは、マニュアルを求めたがり、自分の頭で考えることをあまりしない傾向があるように思いますし、想像力を働かせることも苦手なようです。そういう人たちを指導する決裁官は大変だと思いますが、決裁官にもそのポジションにふさわしくない者が少なからずいるのも今の検察の現状です。
本件のような事件が起訴されることはないと思いますが、間違って起訴され、罪証隠滅の虞があるとして被告人が勾留され続けるようなことを防ぐためには、やはり被疑者段階の弁護人は重要です。