元検事・弁護士粂原研二による刑事事件の実務
無罪事件から学ぶ刑事弁護 その(3)
ある地方で起きた業務上横領事件です。被告人は、郵便配達のアルバイトの男性で、配達中の郵便物(約5000円の車のルームミラー)を宅配ロッカーに届けた後、持ち去ったとして業務上横領罪で起訴されました。被告人は、捜査・公判を通じ、宅配ロッカーに郵便物を入れた後、扉を閉めることができず、そのままにして帰ったが、郵便物を持ち去ったことはないとして犯行を否認していました。
検察官は、被告人宅等からルームミラーは発見されていませんでしたが、宅配ロッカーの開閉記録上、荷物が入れられた時刻と取り出された時刻が同じであること、この時刻に防犯カメラに写っているのは被告人以外には1人だけで、その人は荷物を持っていなかったことなどから被告人を否認のまま起訴しました。
公判が始まってから、検察官は、ロッカーの設計者に記録の仕組みを確認したところ、記録にはエラー表示があり、エラー表示が出た後はデータが固定され実際の荷物の出し入れの時刻と記録の間にずれが生じ、荷物が取り出されたのはずっと後の可能性があることが分かりましたし、被告人が配達していた荷物の数も捜査段階で把握していた数との間にずれがあり、防犯カメラに写っている被告人が持っている荷物は、本件の郵便物とは別物である可能性もでてきたのでした。
検察官は無罪の論告をし、裁判所は犯罪の証明がないとして無罪を言い渡しました。
私は、本件についても何故こんな事件を起訴したのだろうかと思いました。包装されていて内容物は分からなかったかもしれないとはいえ、取られた物は、客観的にはたかだか約5000円相当の車のルームミラーであり、こういった物を盗んだり横領したりする理由が思い浮かびませんでしたし、売却してお金を得たいと考えることはあり得るとしても、そんな証拠はどこにもなく、配達中の荷物がなくなれば、配達していた人が疑われるに決まっており、たぶん防犯カメラにも写っているのに、そのようなリスクを冒してまでこの郵便物を持ち去る理由も思い浮かばず、しかも被疑者は一貫して否認していて、ルームミラーも発見されていないというのですから、ロッカーの記録の意味を検討するまでもなく、「そんな事件を起訴するなよ」というのが普通の決裁官の判断だろうと思います。どうしても起訴したいということであれば、釈放した上、継続して捜査を行い、ロッカーの記録から本当に一旦入れた荷物がすぐに取り出されたと認定できるのかという点を含め、被告人が犯人である証拠を徹底的に収集するよう指示するのが普通だろうと思います。本件の決裁官は何故当然行うべきことができなかったのでしょうか。
検察官が、被告人の弁解に耳を貸さず、事件の軽重、筋、ロッカーの開閉記録の意味内容を十分に捜査・検討せず、被告人を起訴したことは、言語道断ですが、そうはいっても起訴された以上、弁護人としては、本件で実践されたようにロッカーの開閉記録が意味するところを解明していくのがベストな方法であったと思われます。郵便物を取っていないという被告人の供述が正しければ、荷物を入れた時刻と取り出した時刻が同じであるという記録自体が間違っていると論理的にいえるからです。本件無罪の決定的な証拠は、検察官が拠り所としていたその開閉記録自体でした。