元検事・弁護士粂原研二による刑事事件の実務
無罪事件から学ぶ刑事弁護 その(3)
ある地方で起きた詐欺事件です。被告人は、正業に就いていましたが、見ず知らずの男から、電話で、あるアルバイトをやれば多額の報酬を与えてもいいが、被告人が信用できる人物であるか確認したいので被告人のキャッシュカードを男宛に郵送するよう指示され、初めは怪しい話しだと思ったものの、男と何度かやり取りするうち、被告人が信用できると確認でき次第、キャッシュカードは送り返すし、悪用することもないという男の話しを結局信用してしまいました。被告人は、銀行に口座を開設していましたが、キャッシュカードの発行を受けていなかったため、銀行に行き、キャッシュカードを発行してもらい、これを男に郵送したところ、カードを返してもらえなかったばかりか、この口座が振り込め詐欺に利用されてしまったのでした。以上が被告人の供述内容です。
警察は、振り込め詐欺グループにキャッシュカードを売り渡す目的で被告人がキャッシュカードを銀行から騙し取ったという詐欺の容疑で被告人を逮捕しました。
捜査の結果、被告人がキャッシュカードを郵送したことにより、現金等の対価を得た証拠はなく、被告人の上記弁解供述を覆す証拠も得られませんでした。
銀行の取引規定により、キャッシュカードを名義人以外の者に譲渡、質入れ、利用させることは禁止されていますので、検察官は、上記弁解を前提にしても、これを隠して銀行からキャッシュカードを発行してもらうのは詐欺に当たるとして起訴しました。被告人は、キャッシュカードを騙し取る意思はなかったとして否認していましたが、一審は執行猶予付きの有罪判決でした。被告人が控訴したところ控訴審は、詐欺罪は成立しないとして無罪を言い渡しました。
本件と同じような事案について、最高裁の判例があり、「キャッシュカードを第三者に譲渡する意図であるのにこれを秘してキャッシュカードの交付を受ければ詐欺罪が成立する」とされています。本件では、被告人がキャッシュカードを第三者に売り渡す意図であったという証拠はありませんので、本件がこの判例の射程内であるかどうかは微妙なところです。
控訴審の無罪判決の理由は今ひとつ分かりませんでしたが(この事件の一審判決も控訴審判決も内容がまことにお粗末でした)、仮に被告人が供述する上記の意図が、「譲渡」等に該当すると考えられる場合でも、私は、被告人を処罰する必要はないと思いましたし、そもそも起訴したことがおかしいと思いました。被告人の供述を前提とする限り、被告人は振り込め詐欺グループの被害者にすぎないと思えたからです。なお、検察官は、被告人の上記供述を嘘であると認定して起訴したわけではなく、冒頭陳述書の動機や犯行状況にも被告人の上記供述内容とほぼ同じ事実を記載していました。
田舎町で起きた事件で、被告人がある商品を銀行に納入していたこともあり、銀行の支店の職員は、被告人のことを知っていました。もともと口座を開設していたお客さんでもあったわけです。被告人は、顔や素性が知られていない銀行に行ったわけではありません。こういう状況ですから、キャッシュカードの交付を申請するに当たり、被告人には、多少後ろめたいことをしているという気持ちはあったでしょうが、詐欺などの犯罪を犯しているという認識はなかったように思われます。
私がこの事件の決裁官であったら、「この人は詐欺の被害者じゃないのか、被害者を起訴するのか。仮に銀行に対する詐欺が成立する理屈が立ったとしても、何の利得もなく損ばかりしている人を詐欺で起訴するようなことはやめておきなさい。銀行員が、この人から本当のことを告げられていたら、お客さん、それは騙されていると思うから、カードを送ってはいけませんよ、と注意するんじゃないか」と言って、起訴を止めさせたと思います。もっとも、銀行員は、「お客さん、そういうことだとキャッシュカードは発行できませんし、お客さんは騙されていますよ」と言うかもしれません。
私は、この事件に起訴する価値はないと思います。被告人は長期間勾留されて十分制裁を受けたと思います。この地方では同じような事件?が何件か発生していたようですが、警察は、振り込め詐欺グループの摘発に全力をあげるべきであり、被告人のようなことをしようとする人に対しては、注意喚起の広報活動をしておけばよかったのではないでしょうか。
検察官は、この事件を振り込め詐欺を助長する悪質な詐欺事件だとみたようですが、私には、この被告人が振り込め詐欺グループの手助けをしているようには見えず、同グループに騙されてキャッシュカードを取り上げられた間の抜けた人にしか見えないのですが、私の方が非常識なのだろうかと考えさせられた事件でした。
さて、高裁の無罪判決について、最高検は、高検が判例違反等を理由に上告することを了承したでしょうか。